プロローグ:大雨の朝
前日14日、宮島にいるときに降り出した雨は、夜になっても一向にやむ気配がありませんでした。そればかりか、朝には尚一層の強さで降り出したのです。
普段はテレビを見ない私ですが、この雨の降り方に不安を覚え、さすがにNHKを見ました。テレビは異常気象の時のいわゆる「逆L字」の画面。山口県から広島・島根県境にかけて濃い色のレーダーエコー画面を片隅に映しつつ、JRの運転見合わせを報じられていました。
…なんてこった。
この区間には、私が今日乗ろうとしていた木次線が分岐する備後落合駅が含まれています。職場の最寄り駅で押さえた「奥出雲おろち号」もこの駅からの運行。しかし、そこに行く手段がありません。
でも、出雲には再会を約した友人がいますし、ホテルも、帰りのルートも山陰側からです。今日中に出雲市まで行かなければいけません。
ホテルの朝食を食べつつ、決断をしました。
《芸備線、木次線経由はあきらめよう。その代わり、倉敷まで行って伯備線で米子へ出よう。》
こうして、陰陽連絡線の大動脈、伯備線への初乗車が決まりました。
山陽本線:330M列車 普通糸崎行 広島→糸崎
広島県から直接島根県を目指すはずだった当初の予定からすると、岡山県・鳥取県を回る伯備線回りというのは大幅な迂回ルートです。まずスマートフォンの検索機能でざっと時間を出してみると、夕方までに到着するにはすぐにでも出発しなければ、というタイミング。雨の中、ホテル最寄りの広電の電停へ走り、まずは広島駅へ。
午前8時10分、広島駅を330M列車で出発です。
広島エリアのJRといえば、「国鉄広島」などと揶揄されるくらいに、国鉄時代からの古い車両が多く入っているイメージが、鉄道ファンにはあります。しかし最近は徐々に新しい車両も入ってきており、そんなイメージも、少しずつですが変わってきました。
今朝、広島駅で待っていたのも、その「変わった広島のJR」の代表選手、Red Wingこと227系電車です。関西エリアの車両に準じた設備を持ち、広島という大都市を支えるにふさわしい電車だと私は思いました。
なにより、シルバーに赤をまとったその車体色そのものが、「広島」をイメージさせます。鉄道ジャーナル2015年10月号に掲載された、鉄道ライターの土屋武之氏による227系電車の乗車レポートにも
(ステンレス製の車体に)アクセントとして配される色が「赤」であることには、誰もが納得したことだろう。(中略)広島といえば赤なのである。そのイメージを作ったのはジョー・ルーツという、一人のアメリカ人だ。
とあり、1975年のいわゆる「赤ヘル旋風」について触れたあと、
《以来、広島のイメージカラーは赤になったのである》
とありました。
そういえば昨晩乗った広島電鉄の「グリーンムーバーマックス」は、広島カープ一色でした。各電停ごとの放送や、優先席の案内放送は広島カープの選手が担当し、車内も選手の写真だらけ。ほんとに市民に愛されているんだなあ、と感慨もひとしおでした。
さて、広島駅を出発した電車は、関西の新快速と同じように軽快に飛ばしていきます。急勾配区間として知られる瀬野~八本松を過ぎると、ぐっとローカルな雰囲気に。でも、手を緩めない走りは小気味がいいほどです。
山間の小駅にしか見えない白市は、実は広島空港へのアクセス駅。やはり大きな荷物を抱えた人たちが降りてゆきました。
そういえば、東に向かうほど、雨も小ぶりに。これは幸先が、いい。
高架で都会の雰囲気の三原を過ぎると、すぐに糸崎に到着しました。
山陽本線:普通1730M列車 相生行き 糸崎~倉敷
糸崎で待っていたのは、緑とオレンジ、いわゆる湘南電車色の115系電車でした。広島市周辺は最新鋭でも、ちょっと離れるとまだまだこうした古い車両が残っているわけです。とはいえ、内装などは大きく改めてあるのが西日本流。この車両も、古さは感じますが、くたびれた感じはありません。
接続時間、わずか1分ですぐ発車。
しばらく海から離れていたのですが、尾道の手前になると瀬戸内海の「しまなみ」が見えてきました。そして、瀬戸内工業地域の一翼を担う場所柄、工場もそれなりに。
東尾道から乗ってきた家族連れ。小学低学年らしいおねえちゃんが泣いています。おじいちゃん、おばあちゃんとの別れが惜しいのかな…などと思っているうちに、福山に到着。そのころにはもう、海も見えなくなってしまい、農村の風景になっていました。
そろそろ岡山県に入るかな?というところで、併走する道路に「鋼管町」という案内がありました。遠くに目をやれば、もくもくと煙を上げる大きな工場。どうやらあれのことのようです。電機メーカーの大きな工場も丘の上にそびえ、改めて工業の盛んさを認識するに至りました。
ホームが4,5本見える大きな駅に到着。ここは?と駅名票を見ると「金光」の文字。金光教の本部があるため、臨時列車対応としてホームを多く取ってあるようです。
新倉敷で新幹線からの大勢の乗客を迎え入れた1730Mは、午前10時44分、定刻で倉敷駅に到着。
伯備線:普通 849M列車 新見行 倉敷→新見
倉敷で40分以上も時間がありました。
僕にとって倉敷は、2011年、四国への旅の帰路に、某グループのライブを見るために立ち寄った懐かしい場所*1です。この時は日程の問題もあって、倉敷からは18きっぷを使わず、特急「サンライズ出雲」の個室寝台の客となりました。その他、水島臨海鉄道に乗ったことなど、思い出がよぎります。
とはいえ、やることは結構あって、懐かしむ間などない忙しい40分となりました。
まず、みどりの窓口で「奥出雲おろち号」の指定券の払い戻し。ダメでもともと、と交渉したところ、悪天候に伴って該当の列車そのものが運休となってしまったため、無手数料で全額を返金するとのこと。さしたる額ではないのですが、ちょっとほっとしました*2。
それから、銀行に寄ったり昼食をとったり(10年以上ぶり、格安メニューで有名なレストランチェーン「S」に入りました。)、としているうちに、11時20分を回ってしまい、慌ててホームへと戻りました。
特急「やくも」が先発、ついでホームに入ってきたのは、これまた国鉄時代、といってもステンレス製車体の213系でした。
瀬戸大橋線の印象があるこの車両も、現在は一歩引いた活躍のようです。同じホームで待っていた地元のおばあちゃんが、同行の方に「これはいい電車や」。
まあ、確かに。
11時32分、定刻に発車。列車はすぐに山間に分け入っていきます。
土木技術が大きく進歩してから作られた、新幹線のような新しい路線ならいざ知らず、古くからあるJRの路線は、幹線・支線を問わず、相当に地形の制約を受けています。
たとえば、山間部を走る路線は、できるだけトンネルを掘らず、急斜面も上らずにすむように、そして、町や村を結んでいけるように、川筋に沿って敷設されているのが常です。
伯備線も、倉敷からは高梁川に沿って上っていきます。川の名前と同じ備中高梁駅あたりは、そんな川沿いに開けた小さな盆地にある、ちょっと大きな町といったところでしょうか。相模川沿いの中央線、高尾~甲斐大和あたりにも、よく似た風景です。
目を川にやると、やはりというか、折からの大雨で、濁流が渦を巻いています。山には平地以上に降ったのでしょう。伯備線も見合せとなったら、交通手段がなかったかと思うと、通常通り運転していることに安心しました。
倉敷を出て1時間ほど、もうすぐ終着の新見につこうかというところで、空が明るくなってきました。しかし、雨はザーザーと降っています。その状況も、トンネルに入るたびにめまぐるしく変わります。
そんな気まぐれな天気の中、列車は定刻どおり12時46分に新見に到着しました。
伯備線:新見駅にて
夏のこの時期は、青春18きっぷの時期。ここまで乗ってきた849M列車にも、たぶんそうだろうな、と思われる人がたくさん乗っていました。そして、私は勝手にこう思っていました。
「自分と同じように予定変更した人もいるんだろうな」
ところが、新見駅では駅員に何人もの人が「芸備線は動かないのか」と聞いているではないですか。その聞き方がどうにも「止まっているなんて知らなかった」という感じ。揉めてはいませんでしたが、どうにも釈然としない印象を持ちました。
その原因となった天気のほうはといえば、相変わらず人を小ばかにしたように、晴れてみたり、ザーッと降らせてみたり。
小腹がすいたので、駅前の土産物屋さんでパンを買い、食べてから駅の中をうろうろ。
新見駅は、ちょうどXの字のように4方向から3つの路線がクロスします。
南北に貫くのが。今乗っている伯備線。
東からやってくるのが、遠く兵庫県の姫路から中国山地に沿って走ってくる姫新線。
そして、新見から西へ、しばらく伯備線の線路を借りて走り、備中神代駅から分岐して三次経由で広島駅に向かうのが、今日運休している芸備線です。
山中の駅とはいえ、一大ターミナル、といえばそう呼べる駅です。たくさんあるホームには、昔からこうだったんだろうな、というレール再利用の柱を使った上屋がかけられていました。
米子からやってきた2両編成の電車は、特急をやり過ごすために一度引き上げて行き、再び戻ってきて米子行きの各駅停車になりました。
伯備線:普通829M列車 米子行 新見→米子
この「2両編成の電車」、なんとも珍妙なやつでして、前後で運転台部分の構造が異なるのです。片方はもともと運転台の着いている先頭車両だったもの、反対側はもともと中間に入っていた車両に、強引に運転台を取り付けたものなので、仕方がないのですが。
黄色一色の電車は、定刻13時24分にワンマンで発車。窓口で芸備線の問い合わせをしていた人たちも、こちらに乗っている方が多いようです。
次の備中神代駅までの間に、一度特急列車とのすれ違いがありました。私は信号所だと思っていたのですが、芸備線の布原駅でした。線路は共用していますが、この布原駅は芸備線専用の駅で、伯備線の列車からは乗り降りできません。
ふと気がつくと、川の流れは逆向きになっていました。今度は、日野川のようです。相変わらずの濁流ですが、高梁川が比較的谷底のほうを流れていたのに対し、日野川はさほど谷が深くなく、より危険な感じを受けました。
何度も特急とすれ違います。江尾駅では、コンテナ貨物列車ともすれ違いました。
山陰本線と合流する伯耆大山駅が近づくと、山間の風景から平野の風景に変わり、あたりも水田が広がる農村地帯になりました。
米子も15時14分着。駅前に郵便局があったので、コンビニでプリントアウトした写真を友人宛に送りました。
豪華列車、『トワイライト瑞風』の運行開始を記念した、地元の高校生による書が掲げられていました。
山陰本線:普通 141D列車 出雲市行 米子→出雲市
山陰本線は長い路線ですが、人口の偏りがせいか、電車の走る区間とディーゼルカーの区間が入り乱れています。米子以西の区間は、伯備線からは電車特急「やくも」、鳥取からはディーゼル特急「スーパーまつかぜ」、普通列車は基本ディーゼルカーでたまに電車、さらには一日一往復の東京行き寝台電車特急「サンライズ」と、バラエティに富んでいます。
ディーゼルカーは最近になって新しいものが入ってきたものの、まだまだ国鉄時代の朱色のディーゼルカーが主力。力強く走っています。
私が乗ったのもそんな列車。車両の前半分がロングシート、後ろ半分がクロスシートという、不思議な座席配置のキハ47型ディーゼルカーでした。
雨はすっかり上がり、中海と宍道湖がきれいに見える車窓でした。
出雲市、17時11分着。お盆ももうすぐ終わり、日常を取り戻しそうな、そんな駅構内をあとに、私はホテルへと向かいました。
荷物を解いたあと、出雲在住の友人Iくんおすすめの出雲そば屋へ。出雲市駅構内で営業しているいわゆる「駅そば」ですが、しっかりとした麺で食べ応えがありました。
翌日はこちらへ。
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