川原湯温泉へ行く
115系という電車
115系という電車は、僕くらいの年齢の人間にとっては「懐かしい」ものである。1990年代の前半、高尾以西の中央本線の普通電車といえば「紺とクリーム色の電車」であり、たまに松本から「白に水色帯の電車」が、高尾~大月間では「オレンジ色の電車」が乗り入れてきていた。
「紺とクリーム」「白に水色」はもちろん115系である。
国鉄然としたその車体は、笹子トンネル内では爆音を上げて走り抜け、車内の会話もほとんど聞き取れないくらいだった。春・秋のボックスシートはハイカーの宴会場と化していて、その人たちに冷たい視線を浴びせつつも、高校生だった僕らは僕らの世界を楽しんでいた。
良くも悪くも、思い出がいっぱい詰まった電車なのだ。
高崎での再会
だから今回、高崎駅で(車体色は異なるとはいえ)115系に再会してとても懐かしい思いだった。
薄緑色の車内も、ちょっと重たい半自動ドアも、駅につくたびに「ごごごごご」と音を出すコンプレッサーも、何もかもがあの時のまま。
は草津温泉ではない。
川原湯温泉
僕は以前、川原湯温泉を2度ほど訪ねたことがある。共同浴場の「王湯」には70℃の源泉がそのまま流れ込み、「熱いので水を入れて適温に調整するように」と札が下がっていた記憶がある。
だが、川原湯温泉は「八ッ場(やんば)ダム」の建設により湖底に沈むこととなり、温泉街ごと高台へ移転することになった。
その工事が始まっていたので、温泉街は「ひなびた」というよりは、まさに時が止まったような感じだった。
「八ッ場(やんば)ダム」は、2009年に民主党の鳩山政権下で国交相が建設中止の決定をしたことでにわかに注目を集めたところだ。その後2011年の同党・野田内閣の成立後に建設が再開され、この区間の吾妻線も川の対岸の新線へと切り替えられた。
以前の吾妻線は、渋川から吾妻川を左手に見ながら斜面沿いに山へと分け入っていた。しかし、川原湯温泉駅の前後の区間は吾妻川を右手に見る「ような」かたちになった。
「ような」というのは、岩島駅を出た電車は吾妻川を橋で渡り、その後すぐに4㎞もあるトンネルで新・川原湯温泉郷へ向けて山を駆け上っていくからである。
トンネルを抜けると、すぐ真新しいホームが見えてきた。
(この写真は後で上から撮影。手前がトンネル、奥にホームと駅舎が見える)
以前の川原湯温泉駅はホームに横付けされるように木造の駅舎がたたずんでいたが、今の川原湯温泉駅は斜面下のホームから階段・エレベーターで上がるという構造。まだぴかぴかだ。
川原湯温泉駅から、川原湯温泉郷へ
以前もそうだったのだが、駅と温泉郷は距離がある。かつてはしばらく歩いて急坂を上った上に温泉街があり
、そこに「王湯」もあった。
今は駅からまっすぐ
歩き、薬師堂のわきにあるトンネルを抜けると温泉街に到着する。とはいえ、まだ移転の最中で、建物もまばらで道路も舗装されていたりいなかったりと、「こんなところを訪ねてよかったのか」という一抹の不安を覚える様子だった。
「王湯」は2階建て。大人1人500円の入湯料を払って、中へ。
この日は平日だったが、何人かの来客があった。さほど広くない浴槽と洗い場、そして露天風呂。以前の王湯の雰囲気そのままだ。ただ、建物だけが新しい。
北風が時折、ゴゴーッと吹き抜け
る。でも露天にいても寒くない。むしろ心地よく感じてしまう。
川原湯「王湯」はそこがいいのである。
風呂の後、しばらくあちこち歩いてみた。
遠目に見えた、新しい道路橋。
斜面上から見た、旧温泉街。工事用車が通る上に急こう配なので、降りる勇気はなかった。
公共工事が振り回した、古い温泉街。でもそれもまた歴史となる。ダム湖ができた後の温泉街がどうなるのか、少し楽しみになった旅だった。