天翔橋北斗の旅々失礼します

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2019夏旅:3日目8月13日:明日香村探訪

気まぐれな飛鳥の空に

山梨で過ごした中学時代、3年生の修学旅行は奈良・京都。山梨から三島駅にバスで出、そこから新幹線。京都駅から近鉄特急で奈良へ。奈良市内で一泊して市内観光。翌日は一度法隆寺へ向かってから折り返して京都へというスケジュールだった。

そう、ここには「飛鳥」がない。

その後、高松塚古墳キトラ古墳について知り、俄然「飛鳥」という場所に興味を持ったが、なかなか訪れる機会がなく…今回ようやくの訪問となった。

 近鉄で橿原へ

ホテルが奈良駅前ではなく新大宮駅前なので、とりあえずは隣の大和西大寺駅へ。

近畿日本鉄道は、戦時中の1944年に生まれた会社。いわゆる「戦時統合」により、当時存在した関西急行電鉄と南海電鉄が合併してできた会社だ。ただ、現在の近鉄が持つ路線網は、その前の段階でほぼ完成されていたそう。単一の企業ではなく、幾つかの鉄道会社が作っていった路線が次々と統合されて生まれたのが、現在の路線網だそうだ。(近畿日本鉄道|近鉄ストーリー

そのせいか、路線網もちょっと変わった構成になっていて、

  • 都市の中心駅のちょっと手前で路線が合流
  • 同じ会社の路線が互いの目の前まで来ているけど、それぞれ別の駅
  • 同じ駅なのにホームがやけに遠い

というのが路線図を見ていても散見される。

奈良の近鉄も、路線は奈良駅ではなくちょっと先の大和西大寺駅で合流。難波から来る路線と、京都から来る路線、橿原・吉野方面に行く路線と近鉄奈良駅にいく路線がクロス。行き先や種別もめまぐるしく、近鉄でも1,2を争う忙しい駅、と言ったところだ。

橿原方面へは、折りかえす格好。ただ、同じホームでの乗り換えで発車だった。

奈良盆地をただひたすら、ほぼまっすぐ橿原へと向かう線路。途中の大和八木駅を過ぎたところで、右側から単線が合流。上をまたぐ大阪線との相互乗り入れ用の連絡線の陽だ。

橿原神宮前吉野線に乗り換え…と思ったが、駅の案内で明日香村のコミュニティバスが駅西口から運行しているというので、チケットを買って乗車。

夕立や蘇我一族の夢の跡

バスは明日香村内中心地まで乗り入れるそうだが、手前の農産品直売所である「あすか夢の楽市」の前で下車。すぐ近くには、天智天皇が作らせた『漏刻』、つまり水時計の跡である飛鳥水落遺跡があった。

遺跡を見て「夢の楽市」に戻ると、急な雨。ちょっと雨宿りをしているうちに晴れてきたので、そのまま飛鳥寺へ向けて歩き始めた。

蒸し暑いなかではあったけど、不思議と不快感はなく。

飛鳥寺は、蘇我氏の邸宅があったとされる「甘樫丘」を臨む場所にある。門前から見る甘樫丘は壮大そのもの。

寺の創建は、日本での仏教信仰の基礎をたて、聖徳太子のバックアップをした蘇我馬子

蘇我氏が滅ぼされた乙巳の変の際、中大兄皇子らはここ飛鳥寺で陣を固めている。

それぞれは、どんな思いでここから甘樫丘を見ていたのだろう。

本堂には仏像が。

寺こそ建て直されたものの、仏像自体は同じ場所で安置されているとのこと。

酒船石を経由して、明日香村中心地へ向かった。

気まぐれな空に振り回される

この日は超大型まで発達した台風10号が接近中だった。台風からかなり離れてはいたものの、雲が回ってくる度に雨が降る。

途中、「めんどや」でそうめんの定食をいただいていたら、外でまた雨が。

小降りになったタイミングでそそくさと出て、歩き始めたもののふたたび雨。開いていた道路脇の施設へ飛び込むと、そこは「犬養万葉記念館」だった。地元ご出身の万葉集研究家の方を記念した建物とのこと。

雨宿りさせていただいて、そのまま石舞台古墳へ。

思った以上に大きい。これを動かす技術と権力とはいかほどのものだったのだろう。

午後2時前になったので、明日香村の中心地に戻った。

実は今回の旅にあたり、橿原周辺の出身の友人から情報をもらっていた。「明日香村の古民家カフェがいいよ」と。

「cafe ことだま」は火曜定休だというので諦めていたのだけど、この日は盆休み中のせいか営業をしていた。人気店だけあってかなりの混雑。でも、しばらくして窓際の席を案内いただいた。

注文したのは、韓国風のフルーツ入りかき氷「パッピンス」と、ブレンドコーヒー。

冷えすぎる口の中をコーヒーでいやしながら、果物の風味を味わった。

ここから高松塚古墳までバスの便もあるけれど、時間がうまく合わないのでタクシーを使って移動。運転手さんは親切な方で、古墳そのものの前まで直接ご案内いただいた上、その後の帰り方、キトラ古墳との位置関係まで案内してくださった。

小高い丘の途中にある高松塚古墳。壁画紹介用の建物でじっくりと眺めた。韓国にある遺物との比較もされていて、ルーツはやはり同じという思いがつよくなった。

文武天皇陵の脇を抜けて、キトラ古墳へ。こちらは古墳までは上がっている時間が無く、壁画展示の施設へ直接入った。以前東京で展示されていたときは人が多く何を見たのやら…という感じであったけど、今回は1グループ10分の観覧時間でゆっくり見ることができた。今回見たのは『朱雀』だったけど、盗掘跡の穴ギリギリに朱雀の絵が描かれていたそうで、なんともな奇跡である。

キトラ古墳からは、近鉄吉野線飛鳥駅へ直行バス。橿原神宮前で乗り換え、新大宮へお戻ってきた。

夜はなにやらホテル近くの面白そうなお店へ。

「TENKI CAFE」。カフェなのにメインメニューが天ぷらという店。どうやらもともと天丼屋だったところへ、カフェ業態を併せたということのよう。まあ、まあ、期待通りだった。