「あなたが、凶悪にならないですんでいるのはなぜですか?」
凶悪な犯罪があると、「自分の思い通りにならなかった腹いせに他人を殺害した凶悪犯はけしからんから死刑にしろ」っておっしゃる方々がいるのですが。
あれ、自分で言ってて何か変だとか思わないのかな?って思います。
他者に対する暴力の芽は誰しも持つものです。
- 「自分の価値観と合わない」から、見たくない
- 「自分の価値観と合わない」から、この世に存在してほしくない
- 「自分の生き様にとって邪魔だ」から、消えてほしい
そういうことを思ったことがない人間の方が、珍しいのではないかと思います。
人間は自分なりに、いろいろ考えて生きていこうとする生き物ですから。
そして、冒頭のことば、そのものがこういう「芽」そのものではないですか。
「凶悪なやつは許せないから、国家権力によって死ね」と、言っているわけですから。
自分がそういう「思い」を「凶悪なもの」にしないですんでいるのはなぜか。
そういう「思い」を「凶悪なもの」にしてしまった彼/彼女とは、どうちがうのか。
そういうことをしっかり考えることが、「社会」で安心して暮らす第一歩なのではないでしょうかね。
そこに思いを巡らすことなく、「あいつ」と「自分」が「違っていた」ことだけに安堵し、「あいつ」の極刑を願うことで溜飲を下げていては、何もよくならないのじゃないかと思えてなりません。